“ 「露西亜の小説、ことにドストエヴスキの小説を読んだものは必ず知ってるはずだ。露西亜の小説を一冊も読んだ事のない津田はやはり何とも云わなかった。鳥打の男が黙って下を向いているので、小林は津田に喰ってかかるよりほかに仕方がなかった。小林の語気は、貧民の弁護というよりもむしろ自家(じか)の弁護らしく聞こえた。小林の言葉はだんだん逼(せま)って来た。
『たったひとりの闘争』集英社、1990年12月25日。同社は「永久電気」用発電機を開発していたが、途中から「高効率モーター」に変化している。同化の埒外(らちがい)からこの興奮状態を眺める彼の眼はついに批判的であった。 あんな高尚な情操をわざと下劣な器(うつわ)に盛って、感傷的に読者を刺戟(しげき)する策略に過ぎない、つまりドストエヴスキがあたったために、多くの模倣者が続出して、むやみに安っぽくしてしまった一種の芸術的技巧に過ぎないというんだ。 ”