“ 岩瀬はかねてから映画に興味を示していて、1933年(昭和8年)には衆議院に映画国策樹立に関する建議案を提出するなどの活動を行っており、1939年(昭和14年)には、先述のアストリア号による齊藤駐米大使の遺骨帰還の模様から歓迎会の様子についてのニュース映画制作を委嘱された、南旺映画を立ち上げることになる。阪急阪神ホールディングスの完全子会社であり、阪急阪神東宝グループの企業である。 1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・ ”