“ この一大記録は明治八年二月に至るまで、保(たもつ)さんが蔵していた。 この一冊は表紙に「㦣語、抽斎述」の五字が篆文(てんぶん)で題してあって、首尾渾(すべ)て抽斎の自筆である。抽斎随筆、雑録、日記、備忘録の諸冊中には、今已(すで)に佚亡(いつぼう)したものもある。就中(なかんずく)日記は文政五年から安政五年に至るまでの三十七年間にわたる記載であって、裒然(ほうぜん)たる大冊数十巻をなしていた。 これは上(かみ)直(ただ)ちに天明四年から天保八年に至るまでの五十四年間の允成(ただしげ)の日記に接して、その中間の文政五年から天保八年に至るまでの十六年間は父子の記載が並存していたのである。 ”