“ 半月程前、一人の男を供に連れて、下高井の地方から出て来た大日向(おほひなた)といふ大尽(だいじん)、飯山病院へ入院の為とあつて、暫時(しばらく)腰掛に泊つて居たことがある。寺は信州下水内郡(しもみのちごほり)飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹(こせつ)で、丁度其二階の窓に倚凭(よりかゝ)つて眺めると、銀杏(いてふ)の大木を経(へだ)てゝ飯山の町の一部分も見える。瀬川丑松(うしまつ)が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。丑松が転宿(やどがへ)を思ひ立つたのは、実は甚だ不快に感ずることが今の下宿に起つたからで、尤(もつと)も賄(まかなひ)でも安くなければ、誰も斯様(こん)な部屋に満足するものは無からう。 ”